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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和43年(う)6号 判決 1968年6月11日

(一)本店の所在地

宮崎市江平町三丁目四七番地

九州商事株式会社

右代表取締役

五百木喜久夫

(二)本籍

宮崎県西都市大字三宅三、〇三五番地の三

住居

宮崎県船塚町三八九番地の一

会社役員

五百木喜久夫

大正一〇年一〇月二五日生

事件名

法人税法違反

原判決

昭和四二年一一月二九日宮崎地方裁判所言渡有罪

控訴申立人

被告人両名

出席検察官

柴田和徹

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人原口酉男作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一(法令適用の誤り又は理由くいちがいの主張)について、

(一)  先ず所論は、法人税法(昭和二二年法律第二八号、以下旧法人税法という。)五一条一項のいわゆる両罰規定は憲法三九条後段に違反する、本件における被告人五百木の逋脱行為は被告人会社の代表者としてなしたものであるから、その法律上の効果がすべて被告人会社に帰属することにより被告人会社が責任を負い刑罰を科されるのはやむをえないとしても、更に代表者個人をも罰することになれば、自然人たる被告人五百木の一個の行為に対して被告人会社と同五百木個人の双方を罰するもので、一個の犯罰に対して二重に処罰される結果になり、一事不再理の原則に反する、というのである。

よつて按ずるに、被告人会社の代表者である同五百木が会社のためになした本件逋脱行為は、法人と機関という法人固有の関係から、直接被告人会社に法律的効果を発生させるのであるが、かような場合、代表者の違反行為につき会社に直接責任を負わせることは許さるべきことであるから、これに刑罰を科することは決して不相当ではなく、一方代表者の行為はあくまでも代表者個人の行為であるので、代表者が自己の行為に対して責任を負うのも亦当然であつて、会社が責任を負うことにより代表者が免責さるべきいわれはないから、被告人会社が同五百木の本件逋脱行為につき逋脱犯として処罰される場合でも、更に代表者たる被告人五百木自身をその逋脱行為について処罰することは毫も差支えないのであつて、これが二重処罰の禁止にふれるものとは解せられない。従つて原判決が被告人会社の外に同五百木をも逋脱罪に問擬したのは正当であつて、旧法人税法五一条一項の両罰規定が所謂のように憲法三九条後段の一事不再理の原則に違反するものとは解せられない。

(二)  次に所論は、同一の行為に対して重加算税(国税通則法六八条)の外に刑罰を科するのは憲法三九条後段に違反する、逋脱犯の詐偽その他の不正行為と重加算税の要件事実である隠ぺい又は仮装行為(国税通則法六八条)とは同一であるから、被告人会社は既に行政罰である重加算税を課せられているに拘らず、更にこれに対して刑罰を科するのは同一事実を二重に処罰するものであつて、一事不再理の原則に違反する、というのである。

よつて按ずるに、重加算税は、その制裁的意義は否定できないにしても、脱税者の不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目し、これに対する制裁として科される刑事罰と異なり、課税要件事実を隠ぺい又は仮装して申告義務などを正しく履行しなかつた事実があれば正当な理由がない限り課されるものであり、それによつて過少申告、不申告などによる納税義務違反の発生を防止し、以て租税収入の確保を図ろうとする行政上の措置である。従つて重加算税を課することは、納税義務者の行為を犯罪とし、これに対する刑罰として科する趣旨でないことが明らかであるから、所論のように、被告人会社に重加算税が既に課されている事実があるとしても、これに対して租税刑罰を併科することは、刑罰に関する一事不再理の原則を規定した憲法三九条後段に違反しないと解すべきである。(最高裁判所昭和三三年四月三〇日大法廷判決、民集一二巻六号九三八頁参照)。

(三)  更に所論は、確定申告について後日修正申告がなされた場合は、修正申告を中心として逋脱の有無を決すべきである、修正申告がなされた場合はそれが真実である限り「税を免れた場合」にはならず、若し確定申告に虚偽があつたとしても、修正申告により是正された場合は、中止犯として処理されなくてはならない、というのである。

よつて按ずるに、本件旧法人税法四八条一項の逋脱罪は納期の経過により既遂となると解すべきであるから(最高裁判所昭和三六年七月六日第一小法廷判決、刑集一五巻七号一〇五四頁参照)、本件記録上明らかなように、被告人会社が納期経過後に修正申告書を提出して不足税額を納付しても、右逋脱犯の成否に影響がないので、未遂を以て論ずる余地はないものというべきである。

以上のとおり原判決には所論のような重大な法令適用の誤り又は理由くいちがいの違法は認められない。

論旨はいずれも理由がない。

同趣意第二(量刑不当の主張)について、

所論は要するに被告人会社及び同五百木に対する原判決の量刑は重すぎて不当である、というのである。

よつて按ずるに本件記録及び原裁判所で取調べた証拠に現われた被告人五百木と同会社の関係、本件犯行の動機、態様、罪質、脱税額、社会的影響、並びに被告人五百木の性格、年令、経歴、家庭の情況及び被告人会社の財政状態その他諸般の事情を総合すると、所論を十分参酌考量しても、原判決の被告人会社及び同五百木に対する量刑は相当と認められ、決して重すぎて不当であるとは考えられない。

論旨は理由がない。

よつて刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとして

主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木下春雄 裁判官 栗田鉄太郎 裁判官 緒方誠哉)

控訴趣意書

被告人 九州商事株式会社

五百木喜久夫

右法人税法違反被告事件について弁護人は左記の通り控訴趣意を提出する。

昭和四三年三月一五日

福岡市六本松六百六番地(電話(5)二八〇四番)

弁護人 原口酉男

福岡高等裁判所宮崎支部 御中

第一、原判決には重大な法令適用の誤り又は理由くいちがいの違法があり、この違法は判決に大いに影響がある。

以下にその理由を述べる。

一、本件における所謂「両罰規定」(旧法人税法第五一条第一項)は憲法違反である。けだし、本件における五百木被告人の行為は被告人たる九州商事株式会社のために為されたものであり、その効果としては総て会社のために生じているのである。(五百木個人は本件行為により何らの利益も得てはいない)。したがつて会社機関としての五百木の行為により効果帰属主体として会社が責任を負い刑罰を科せられるのは己むを得ない(既ち代表者の行為は会社自体の行為であるから)としても代表者個人が罰せられるのは不合理である。即ち、犯罪と目せられる行為は会社機関としての自然人たる五百木の行為一個であり、一個の行為に対して会社と五百木個人にそれぞれ刑罰が科せられるのは、一個の犯罪に対して二重の刑罰が科せられる結果となり、刑事上の鉄則である「一事不再理」に反することとなるからである。

実質的にみても、所謂租税犯は国家の徴税権を害するところにあり、本件の場合五百木の行為が徴税権を侵害したことは明らかであり、そうであれば五百木個人のみを罰すれば足りるのである。会社からは五百木の行為により不当に得た利得を剥脱すればそれで充分である。而して、本件の場合会社からは既に重加算税等を附加して過少申告にともなう不足税額はこれを徴収しているのであるから、更に刑罰を以て会社に臨む必要はない訳である。

つまり、租税犯の場合、不正行為自体を重くみて行為者自身を罰するか、又は、不正行為による不当利得の点を重視して利益の帰属者たる会社を罰するか、どちらか一方に限定せらるべきである。にも不拘両者を共に処罰するということになれば前述の通り一個の行為に対して複数の刑罰を科することとなり一事不再理の原則に反することとなるのである。

二、重加算税を徴しておきながら更に刑罰を科せられるのはこれまた一事不再理の原則に反して憲法違反である。けだし、

過少申告加算税(国税通則法第六五条)はともかくとして、重加算税(同法第六八条)はその規定自体からして、刑罰法規と全く同様に「……事実の全部又は一部を隠ぺいし又は仮装し……」と犯罪構成要件と同一の規定を為し、それに該当するとき初て重加算税を徴収することを規定している。而して、その立法の目的が行政目的を達するための行政上の措置であるとしても、実質は、構成要件が充たされたとき一定の不利益を科することを規定する刑罰法規と寸分の変りもないのである。行政罰と刑事罰はその本質が違うと如何に理くつを並べてもその本質は不正行為を防止するため、又は、不正行為に対する応報制裁として国民に科せられる不利益に違いはないのである。したがつて、重加算税を徴しておきながら更に罰金その他の刑事罰を科することは一事不再理の原則を犯すものである。(この点につき昭三六、五、二―第三小法廷、昭三六、七、六―第一小法廷の最高裁判決があるけれどもその判決理由に承服できないので敢えて右の主張を為するものである)。

三、確定申告につき後日修正申告が為された場合は修正申告を中心にして逋脱の有無を決すべきである。けだし、

我国の税法は申告制度を採用し、国民を信頼する前提の上に構成されている。しかし、人には過失があり申告につき脱漏その他の間違があることは当然である。斯る場合に国民の自発的意思に基きその補正方法を講じさせようとするのが修正申告のねらいである(国税通則法第一九条)

ところで国税通則法第六五条第三項は「調査の結果更正あるべきことを予知しないで修正申告が為された場合は過少申告加算税を徴収しない」旨定めているけれども、これは行政罰を科さない、つまり行政罰不科の要件を定めているだけのことであつて修正申告の刑事法上の効果を定めたものではない。刑事法上はその立場に立つて独自に考えられるべきことである。而して、申告制度という大前提の下では修正申告というのは絶対不可欠のものであり、修正申告が為された場合はその申告を基にして正否を論ずべきは当然である。そして、その修正申告が調査による更正決定を予知して為されようと否とに不拘その効果は一でなければならない。けだしそうでなければ調査の時期の早いか遅いかにより効果が異ることとなつて偶然性に左右されることとなり税制に対する国民の信が繁ぎとめられなくなるからである。

よつて、修正申告があつた場合はそれが真実である限り「税を免れた場合」にはならないのである。若し、確定申告に虚偽があつたとしても、修正申告によりそれが是正された場合は中止犯として処理されなくてはならないのである。

四、以上の諸点に思いを致さず為された原判決は著しく法令の解釈又は適用を誤るか、若くは判決理由にくいちがいがあるものである。

第二、原判決は刑の量定が不当である。

以下はその理由。

一、本件発生の動機

(一)、中小企業の大企業に対する劣後性

中小企業が大企業に互してその存立発展を図るための要件としては

1、販売設備の拡充

2、運転資金の確保

3、優秀人材の確保

が是非共必要であり、就中優秀人材の確保は企業活動の根本を為するものが人である以上一般的に云つて必要不可欠のことであるが特に地方における中小企業においてその必要性は著しいのである。

けだし、地方より都市に人材が流出し都市集中の傾向が強い今日においては、如何に人材を地方にも踏み止まらせるかということは一企業についてだけの問題ではなく国家政策上の問題であるが、人材流出の原因を考えてみると、地方においては文化的環境がない、人間が人間らしく生活するための所論福利厚生施設が貧弱であるということに帰するようである。したがつて、国家政策としては地方における文化的環境を整備し、福利厚生施設の拡充を図る必要がある。さもなくば、三チヤン農業はおろか全くの老人農業に堕してしまい国を支える農村地方の存立は崩壊してしまうであろう。

斯ることからしても当然肯ずけるように、地方に存在する企業が存立するための人材確保については国家が有効適切なる手段を購じない限り自己の手により文化的環境を整備し福利厚生施設の確保を図つて人材を吸収する以外にはないのである。而して、大資本大設備を有する大企業においてであればそのことも容易であるが、中小企業においては世間がその存続発展につき大企業に対すると異り或程度の不安感を有しているので大企業のものにも増して一層高度のものを作らない限り大企業における同等或いはそれ以上の人材を確保することは不可能である。そして、そのためには大企業が払う努力及び投資以上のものを必要とし、唯でさえ貧因を極めている資本に大きな負担がかかつて来るのは当然である。なお、亦、販売設備の拡充、運転資金の確保についても、大企業は自己の体質からしても自己の手でそれが可能であるとともに国家よりの保護(融資その他)もあることからして容易であるが、現今何ら有効適切な育成強化の施策が為されていない中小企業においては難事中の難事といわねばならない。若し、中小企業が手を拱いて、人材の確保、販売設備の拡充、運転資金の確保を為さないならば必然的にその企業は崩壊してしまい、同企業に依存している被用者、代理店等はそのよるべき所を失い失業と共にその生活は破綻し収拾すべからざる状態を惹起することは必定である。茲において企業者は耐え難きを忍び可能なるあらゆる手段を購ぜざるを得ないのである。

而して、本件九州商事は右の三つの必要(人材確保、販売設備の拡充、資金確保)を充すために、一時税金として国に納付すべきものを借り受け流用したものである。一方的に為したものではあるが税金の借用流用である。このことは実定法上禁止されている違法行為ではある。勝手に斯ることをされては国の財政運用に支障を来すことは明かであるからである。しかし、それならば何故国は小企業が斯ることをせずとも存立発展できるような施策を購じないのか、己むを得ず税金の借用流用をせざるを得なかつた者だけを、自ら適切な施策を講ずることもなく放置しておきながら一方的に責めることが出来るだろうか。法律上はともかくとして道義的人道的立場において疑問を挾む余地はないのであろうか。クリーンハンドの原則にもとるのではないか。

(二)、本件は税金の一時借用である。

それが違法行為であることは前述の如く、決して争うものではないが、本件は実質的にみれば一時借用である。けだし、裏帳から表帳への受入については当然企画され徐々にではあるが実行されていたのである。恐らく摘発が後一年延びておれば完了していたであろう。そして、裏帳から表帳への受入の際にはそれに対して然るべき課税が為されるので本件の場合脱税のしつ放しということにはならないのである。又、脱税された金額は記録上も明かな如く前記三つの必要のために使用されている。即ち、営業所の新設、社宅の建設、社員の福利厚生施設の拡充等に充てられ、その分だけ運転資金が楽になり企業の充実ができたのである。斯くして九州商事は小企業ながらも大いに体質の改善が出来その業績を将来に亘つて挙げ得られ、したがつて税金も大いに支払い得るようになつたのである。

(三)、本件発生の原因は金融機関にある。

弁護人の立証によつて明かなように、金融機関(銀行)が裏帳操作を指導し、且つ裏帳より表帳への移行を妨げているのである。銀行は裏金による定期預金を歓迎する。けだし、裏金による定期預金はその性質上固着し銀行の資金量を豊かにし(このことは貸付を増大して金利獲得を容易ならしめる)併せて、表面をかくして当事者への貸付の担保と為し得るからである。又、斯かる状態が永続することは銀行にとつては甚だ利益である。したがつて、銀行が裏帳システムを指導して脱税を教唆する可能性のあることは充分推認し得るところである。なお、当局の指導監督にも不拘今なお、歩積み、両建が厳然として行われており、一向に廃止の方向へ向おうとしない銀行の不法性からしてもそうである。

右の如き、不法な銀行のあり方を不問にして九州商事のみを責めるというのは片手落に過ぎないか。金融横暴を痛感されている現今甚だ片手落の感が深い。

二、その他の情状

(一)、反省、被告人は本件については当初よりその事実を認め自己の非を悟り一言も争うことなく深く反省悔悟している。(被告人の上申書において明白)。

(二)、再犯のおそれ、九州商事に対する謂わば親会社ともいうべき大協石油も代理店、特約店等において所謂二重帳簿による会計組織があることはその経営の実体把握のために最も好ましからざるものであり斯ることの一切行われないよう厳重に監視、指導を為している。又、今後も特に九州商事に対してはそれを強化撤底する決意をしている(酒井金之助証言)。特に九州商事としてはメーカーたる大協石油の不評反感を買うことは出荷制限、停止を招くことともなりかねないのでその監督指導に従順に服しなければならない立場にあり、被告人は前項の反省自戒の下に再び斯かる不都合な行為を為さないことを誓つていることから再犯のおそれは全くないのである。

(三)、既受制裁

1、社会的制裁。本件事案が広くマスコミによつて報道され、周囲から白眼視されたり又は金融機関より警戒されたりしたことから九州商事は営業面に著しい悪影響を受けており、五百木は家庭内に沈うつな雰囲気を招き、妻子からひどく非難され精神的に大きな打撃をうけた。特に通学中の子供から恥しくて学校にも行けないと泣かれたことは一大衡激であり本件により営業面乃至家庭生活の面において充分以上の応報を受けたのである。

2、税法上の制裁。九州商事は既に本件に関して

<省略>

を支払つているが、此の中の加算税二、〇九四、九〇〇円は謂うなれば脱税行為に対する制裁金でありこれによつて脱税に対しては充分の応報が為されているというべきである。

右の制裁は税法上のものであり刑法上のものではないこと勿論であるが、その区別は観念上のものであつて、制裁を科せられる立場からすれば何れにしろ財産上の不利益であることに変りはない。国民の立場からすれば加算税も罰金も一諸である。若し、税法上のそれと刑罰のそれとは全く性質を異にするから脱税行為については税法上の不利益と刑事上の不利益が併科されることになるということを合理化するためには、斯かる二重の不利益を招くことになるから脱税をしないようにとの禁止的、警戒的意味を持たせる以外にない。そうだとすれば税法上の制裁か刑事上のそれかの一方又は双方をなるべく重くしさえすれば良いということになり、自由、身体についての不利益(身柄拘束その他)でも科せばなお一層目的を達するだろうがこれは法律上(立法上)出来ることではなかろう。けだし、刑の均衡、一事不再理の理念が働くからである。斯ることを考えれば、例え、観念上は行政罰、刑事罰と区別するとしても一つの事案に双方の罰を科することは一事不再理の鉄則に反するものと云うべきである。仮りに、反しないとしても刑事罰の科刑(量刑)においては行政罰が如何になされたかを充分斟酌した上で妥当な処分が為されなければならない。若しそうでないとしたら科刑不均衡のそしりは絶対に免れないのである。

三、量刑に対する意見

近時、黒い霧事件に関連して、田中彰治事件、共和製糖事件、東証事件等脱税に関する大事件が摘発されている。その何れもが本件脱税額に比較して桁ちがいの巨額に達するものである。又、政治家の納税が不当に安いとの報道もある。何れにしろ、大企業、政治家の脱税については当局の態度は不当に寛大である如き印象を受ける。斯かる状勢の下において本件の如く額にして少額、犯情において軽徴、その他前述の如き事情の下に厳罰を科することは著しく均衡を失するというべきである。検察官の求刑は九州商事に対して罰金三〇〇万円、五百木被告人に対して懲役六ケ月であるが、極めて不当であると考える。けだし罰条の法人税法四八条第一項は法人の代表者に三年以下の懲役、五〇〇万以下の罰金(併科可能)となつているが一億円の脱税についても(最近かかる事案はざらにあるようである)五〇〇万円を超す罰金、三年を越える懲役は科せられないのに、本件の如き謂わば小事件につき最高額に近い罰金と共に懲役刑を併科するというのは全く以て不当である(脱税額及び加算税が完納されていることを考えればなおさらである)。恐らく、東京、大阪等大企業が集中し、したがつて大口の脱税事件が多発するところの大都市における本件事案であるとするならば恐らく求刑としては罰金一〇〇万円以下のみの求刑で済むのではなかろうか。又、その限度において妥当と考えるのである。感覚の相違ではあろうが一地方小都市では稀にしか発生しない脱税事件に対する科刑基準は高きに失するものがあるように考える。

原判決の量刑は以上の諸点から見て過酷に失するものと考えるので当審において是正さるべきである。

上告申立書

一、法人税法違反被告事件

被告人 九州商事株式会社

同 五百木喜久夫

右事件につき昭和四三年六月一一日福岡高等裁判所宮崎支部が宣告した控訴棄却の判決は不服であるから上告の申立をする。

昭和四三年六月二〇日

右被告両名弁護人 弁護士 原口酉男

最高裁判所 御中

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